2021.12.17

SVOLME FAMILY DIALOGUE ~ 鳥養祐矢 × 池上丈二 ~

2021年11月に現役引退を表明したFC琉球(J2)の鳥養祐矢選手。そのキャリアの中で最も長く在籍したレノファ山口(J2※在籍は2015~2019年)で、JFL・J3・J2と3つのカテゴリーを経験。その山口で共にスボルメのサポートを受け、鳥養選手の退団後にはチームのキャプテンを引き継いだ池上丈二選手をインタビュアーに迎えて、自身のキャリアの振り返り、山口で経験した思い出・裏話、今後の展望などを語り合ってもらった。

池上選手
(以下、池)
正直、びっくりしましたね。まだまだやると思っていたから。キッカケは何だったの?

鳥養選手
(以下、鳥)
元は山口で引退するつもりでやっていて。実際サポーターを始め、“帰ってこないのか”という声は正直かなり多かった。ただレノファで5年半やって、試合にはなかなか絡めない時期が続いて。それでも琉球に呼んでもらえて。そこからは自分の中で一年一年が勝負だと思いながらやってきた。ノルマを自分で決めてやっていたね。

そのノルマとは? 

数字だよね。何分間プレーするとか、何試合出場するとか。そのノルマをクリアすれば来年もやるというのを、まずは琉球に行って半年、試した。そこではしっかり達成できたんだよね。でも今年、その数字は満たせなくて。そこで今後の人生を考えたときに、今33歳でやめて次のステージに移った方が良いんじゃないかなと思った。それが引退を決意した一番の理由。

なるほど、自分の中で線引きがあったんですね。

自分はJ1を経験していないからそこに行くのが一番の目標だったんだけど、達成できなかった。

じゃあもし、決めたノルマを達成していなくて、でもJ1からのアプローチがあったりしたらやっていた?

それは、やるよ(笑)J1もそうだし、J2でもお誘いがあれば行っていた。でも実際には琉球に行ってからの2年半でそういう声が掛かったかというとなかった。逆に今年引退を表明しなければ契約満了になって他からの誘いがあったかもしれない。わからないけど。カテゴリーに固執しなければなおさら。個人的にもJFL 、J3、J2を経験して、正直、下のカテゴリーに戻ることはしたくないっていう、それこそ線引きもあった。

プロになる瞬間が一番の転機かな。FC 琉球に移籍した時が初めてプロ契約してもらったときだから、当時24歳。それまで高卒でプロになれなくて、大卒でもプロになれなくて。正直そこでやめようと思っていた。ただありがたいことにJFL のチームから4チームほどオファーをもらって。実業団のSAGAWA SHIGA FC を選んだ。そこでやっていたんだけど、2年目の途中で廃部になったんだよね。そこでチームを探して、FC 琉球が手を挙げてくれた。

それ以降はない?

それ以降は琉球で怪我をして、試合数でいったらほとんど出てないからな。でも山口に来たときも大きな転機だね。

間違いなくそうなんじゃない?鳥くん(鳥養選手)はもう山口の人だよ(笑)

みんなそうやって言ってくれる(笑)

そう、だからこそ帰ってきて引退かと思っていた。

自分自身も現役最後はここで過ごしたかった。そういう気持ちが確かに強くあったよ。でもサッカー選手だけに固執しないで、出会えた多くの人たち、スポンサーさんとかファン・サポーターとかもそうだけど、もちろん選手も、たくさんの人たちにサッカー選手としてじゃないところで恩返しをやっていきたいなと思った。

だから鳥くんは山口県民から愛されるんだね。

逆に丈二(池上選手)の転機は何なの?

国見から青森山田に転校したタイミングですかね。

それは本当疑問に思う。練習きつくて逃げたのかなって。

それは正直、もちろんきついのはあった。めちゃくちゃ走りますからね。テストで赤点とったらプラスで走るし。毎朝5時から走り、105m50 本ダッシュしてそこから練習3時間で。そのあとまた50本ダッシュ。1日100 本ダッシュだったね。最初の1か月はそれを毎日やっていた。もちろん良い高校に行ってスカウトの目に入ってプロに行きたいという明確な目標があったから、国見に行ったんだけど。ただ当時自分の成長が全く感じられなかった。やりながらわかって。

いつ転校したの?

1年と半分ですね。1年半、1年半の3年間。

半分で見切ったんだ

1年目終わったときに結構やばいなという実感があって、何なら中学のときの自分の方が上手いなという感覚があった。だからもう最初の1年は全然無駄ではないけど、本当に成長したのはメンタルとか体力だけだなと自分で思ってしまって。このままではやばいぞ、と。実は中学に上がるタイミングで青森山田からオファーをもらっていた。高校に上がるときにも選択肢にあったんですよ。そういうこともあって、1年間で見切って、無理だなと。これが転校のキッカケですね。

でも結構異例だよね。高校在学中にサッカーで転校するなんて。

そう。そのあとから、後輩たちがユースクラブから山田に転校してきたり、神谷(現・柏レイソル神谷優太選手)とか。そういう下の子たちが増えましたね。俺のせいで(笑)

せいではない(笑)丈二のおかげでその道が作られたってことでしょ。その年でよく思い切れたね。誰かの後押しとかあったの?

かつて在籍したクラブの監督さんとたくさん話しましたね。それで思い切って行っちゃおうかって。転校して半年間はルール上公式戦には出ることができなかったんですけど、3年生になってからはほぼ全試合出してもらえて。その時点でプロへの道があったかどうかはわからないけど、黒田さん(青森山田監督)推薦の大学に行って4年間を過ごしました。そこから山口に来ましたね。自分の転機は、転校とプロになったときですね。あとはキャプテンに就任したとき。

キャプテンね。実際どうだったの?俺がやってさ、三幸(現・湘南ベルマーレ三幸秀稔選手)がやってさ、そのあとを継ぐことになって。

正直、自分で良いのかって気持ちがあった。ビックリというよりはそっちの気持ちの方が強かったです。衝撃だった、今でも憶えている。当時この場で霜さん(現レノファ山口監督・霜田正浩さん)に言われたこと。

そうだったんだ。言われた瞬間はどうだった?

1つ嫌だったのが俺は喋りが得意じゃないので、人前で話さないといけないとか、それが最初に頭をよぎっちゃって。監督にも言いました、自分喋れないですって(笑)

そしたら霜さんなんて?

“それはそれで良いんじゃないの”って。“やっていけば自然と身に付くかもしれないし、お前のキャラのキャプテン像みたいなものを作っていけば良いんじゃないか”って言われて。それで受け入れましたね。やっぱりキャプテン就任も大きな転機だな。

山口はJFL 時代、全然お客さんがいなかったのに、ステージをあげるごとに観客が増えて、ビッククラブと対戦するときなんかは1万を超えたりもするよね。

その当時、自分は大学生だったんですけど、観ていました。とにかくすごかった。攻撃的なスタイルのサッカーを観て、本当に素晴らしいなと思って観ていましたね。特にアウェーセレッソ戦ね。(2016 年5月15日J2リーグ第13節vsセレッソ大阪、鳥養選手の2ゴールで4-2 の逆転勝利)キンチョウスタジアムで。

あれは間違いなくキャリアの中で一番輝いた試合(笑)

神がかっていましたね(笑)得点も綺麗だったし。

やっぱりあれだけのビッククラブで対戦相手に名だたる選手がいて、当時レノファができるサッカーを存分に出せて、最後の最後まで走り勝てたというところは、大きな自信にもなったしあの2ゴールは自分の中でかなりのインパクトがあったね。

あれは本当にすごかった。今のレノファでもああいう試合がしたい。

スボルメを提供していただいたのが同じタイミングだったね。一緒にタイキャンプに行ったときに別のキッカケではあったけど、たまたま丈二もサポートしてもらうってなって。二人で大量にバシャバシャ写真を撮ったのを覚えている(笑)

あれは4年前だね。懐かしい。

お互いの印象でいうと、プレーに関しては、丈二はとにかくキックの精度の高さ。

これも印象に残っている試合の1つだけど、アウェー岐阜戦(2018 年6月23日J2リーグ第20節vsFC 岐阜、池上選手・鳥養選手それぞれ1アシストずつを記録し2-2 の同点に追いついた試合)。同じようなクロスを上げて、ゴールに繋がったね。

左サイドを切り返して、綺麗に入ったね。

鳥くんの場合は両足のキックの精度がすごかったっていうのがあったから、クロスの質とかすごいなと思って。それが強みですよね。

確かに両サイドでポジションも取れるから、切り返してクロス、という場面はかなり作れていたね。

あの試合は今でも忘れないね。

ただ、丈二みたいにプレースキックは蹴れないんだよね(笑)

いやプレースの方が簡単ですよ(笑)

実際このチーム来てからずっと任されているよね。

確かに任されていない年はないかな。でももっと磨いていきたいね。

早速、契約更新が発表されていたね。移籍とかは選択肢になかったの?

なかったですね。正直、このクラブが好きだから。

素晴らしいね。大学卒業したてでこのクラブにきて、ステップアップしたいと考えるものじゃない?普通は。

そうですね。10番を付けてからは特に、キャプテンもそうですけど、責任感が芽生えてきたのは確かで。ただ自分は結果として山口に何かもたらしたかな、と。もっともっとこのクラブでやらなければならないという気持ちがある。山口のために。それで今年も更新させてもらいました。

嬉しいはずだよ、山口の人たちは。

でも自分、鳥くんみたいに人気ないです(笑)

自分でもなんで人気あったのかはわからないよ。何だろう、時期が良かったんだよ。レノファが街に根付いていないときに、地域との交流を図ってはいたよね。小学校の訪問にはずっと行っていたし、いろいろなところへ挨拶に行っていた。

さすがですね。レノファといったら鳥養ですよ(笑)

でもそういうイメージを選手としては変えていかないといけない。今レノファは真価を問われていると思う。どこのクラブにもマンネリはあって。言い方が難しいけどお客さんも減ってきていて、そういう状況を引き留められるか、クラブ全体に懸かっていると感じる。そう簡単にはいかなところももちろんあるけど。自分がキャプテンをやっていた当時も街ぐるみで色々やったらクラブも成長するのにと思っていたけど、なかなか実現することができなかった。そういうやりつくせない過去があったからこそ、いずれはレノファに貢献する仕事をしたいなと思っている。いずれは…。

ぜひ戻ってきてください。

Profile_とりかい・ゆうや◆1988年5月11日生まれ。千葉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF/FW。172cm/62kg。2013年、当時JFLのFC琉球でプロデビュー。
以降、FC琉球→レノファ山口→FC琉球に所属し、2021年11月にJ2リーグ・FC琉球で現役を引退。JFL、J3、J2のカテゴリーを経験している。

Profile_いけがみ・じょうじ◆1994年11月6日生まれ。熊本県出身のプロサッカー選手。J2リーグ・レノファ山口所属。ポジションはMF。167cm/62kg。2017年にレノファ山口でプロデビュー。
2018年からは10番を背負い、キャプテンにも任命されたレノファを代表する選手の一人。